「あたりまえ」を疑う社会学 第2章

要約

 社会学において、人々が生きている固有で具体的な現実に出会い、人々の生きられた意味に向かううえで、「はいりこむ」という営みは必須である。研究対象の集団に「はいりこむ」ためには、入口を探すこと、人々の常識的信奉に亀裂を入れること、人々の「信頼」にできるだけ近づこうとすることなどの方法がある。しかし、「はいりこむ」人は、人々の暮らしや現実にとって余計な存在である。社会学者はこのことを自覚し、余計な存在としての自分の姿や経験を、常に反省的に読み解いていく必要がある。また、「はいりこむ」なかで、自分自身に生じる変化を感じ、自らの姿の変貌を心地よく受けとめることも大事である。変貌する自らの姿を承認し見つめること、どのように変貌したのかを読み解くこともまた、社会学者にとって重要な部分である。

 

感想

 社会学者がフィールドワークで調査対象に「はいりこむ」とき、その調査対象によって「はいりこみ」のやり方が違うことを知った。特に、調査対象との関係性が悪化するリスクがあるにも関わらず、常識的信奉に亀裂を入れ、より深く調べようとすることに驚いた。その場合、慎重に相手に問いかける必要があると感じた。また、こういった「はいりこみ」を通して、自分自身の変化に気づき、どのように変化したかを読み解くことが大事だと感じた。