「あたりまえ」を疑う社会学 第5章

要約

 識字とは、ただ文字を学ぶのではない。参加者一人一人の生活世界が量的、質的に広がっていく営みであり、自分という存在をを見つめなおす過程である。ゲイスタディーズについて、性的なマイノリティとされる人々が、いま、積極的に語り出し、自らの存在の”あたりまえさ”を主張している一方、彼らをからかい、差別し、自らの日常から締め出すことに躍起になっている。私たちは、彼らが「語りだす」多様な実践にきちんと向き合い、”彼らに怯え、排除する現実”を壊していく必要がある。また、自分史を書いたり、語り出す営みは、生活者のリテラシーと大きく関わりがある。語り出す力の”源”に向かって想像力をふくらませ、語った人、語りの背後にある現実を調べようとする営みこそ、語り出す力と向き合うセンスであり、実践の一端である。

 

感想

 最近、LGBTに関する話題が多く取り上げられてきており、まだ社会に受け入れられづらい現状がある。彼らをただ批判するのではなく、彼らが経験してきたことや、その現状等をしっかり調べた上で、彼らの意見をどう受けとめるかが大事である。語り出す力と向き合うセンスを育むことで、偏見や差別は激減するのではないだろうか。

「あたりまえ」を疑う社会学 第4章

要約

 社会学で世の中を調べようとするとき、「聞き取る」という営みをよくする。そこで重要なことは、話を聞き取ろうとする人は、普段の自分の日常とは、まったく異なる文化や社会、生活を生きている他者と正面から出会うということである。

また、聞き取りを行うとき、聞き取る相手の力や権力に囚われすぎると「聞き取る」という営みは硬直し、失敗してしまう。しかし、そういうものに反応し、いかに聞き取りを達成していくのかという問題は、「聞き取る」営みの多様性を考えていくうえで重要である。こういった「聞き取る」という営みにも、相手の「声」と直接出会うことや、相手の語りから様々な影響を受け、自身の世界観などの変動を心地よく感じ、「調べる」という営みに組み込んでいくことなどの醍醐味がある。

 

感想

 私は、「聞き取る」という営みは、社会学だけでなく、その他の学問においても大事な営みであると考えている。そのため、私も「聞き取る」という営みはこれからも経験するだろう。そのときに、ここで語られているように、「聞き取る」営みに失敗しないよう相手の存在や相手の持つ多様な力に反応し、いかに聞き取りを達成するかを考えていこうと思う。

「あたりまえ」を疑う社会学 第3章

要約

 社会学には、研究者自身が、その現実のなかで「あるものになる」ことで得られる知や情報から、世界を、己自身を読み解こうとする人類学のフィールドワークと同様の営みがある。 鵜飼正樹氏の「大衆演劇への旅」には「何者かに『なりきる』ことなどできるのだろうか?」という問いがあるが、筆者はできないと考えている。「なりきった」実感をなんとか味わいたいと思うからこそ、私たちは、暮らしの中で大切だと感じ、考える場で、何者かに「なりきろうとし続ける」のではないか。私たちが普段当たり前のように暮らしている日常に満ちている「なりきろうとし続ける」営みこそ、そして役柄と自分の存在の間にある距離や隙間こそ、社会学が世の中を調べるうえで読み解くべき、基本的、かつ核心的な対象なのである。

 

感想

 社会学者がフィールドワーク等で、何かに「なりる」ことは大切だと感じた。集団の一員に「なりきる」ことで、より多くの情報を手に入れるだけでなく、周りからの信頼を得ることもできるのではないだろうかと感じた。筆者の言うように、「なりきろうとし続ける」営みが、社会学においてかなり重要なものなのではないだろうかと考える。

「あたりまえ」を疑う社会学 第2章

要約

 社会学において、人々が生きている固有で具体的な現実に出会い、人々の生きられた意味に向かううえで、「はいりこむ」という営みは必須である。研究対象の集団に「はいりこむ」ためには、入口を探すこと、人々の常識的信奉に亀裂を入れること、人々の「信頼」にできるだけ近づこうとすることなどの方法がある。しかし、「はいりこむ」人は、人々の暮らしや現実にとって余計な存在である。社会学者はこのことを自覚し、余計な存在としての自分の姿や経験を、常に反省的に読み解いていく必要がある。また、「はいりこむ」なかで、自分自身に生じる変化を感じ、自らの姿の変貌を心地よく受けとめることも大事である。変貌する自らの姿を承認し見つめること、どのように変貌したのかを読み解くこともまた、社会学者にとって重要な部分である。

 

感想

 社会学者がフィールドワークで調査対象に「はいりこむ」とき、その調査対象によって「はいりこみ」のやり方が違うことを知った。特に、調査対象との関係性が悪化するリスクがあるにも関わらず、常識的信奉に亀裂を入れ、より深く調べようとすることに驚いた。その場合、慎重に相手に問いかける必要があると感じた。また、こういった「はいりこみ」を通して、自分自身の変化に気づき、どのように変化したかを読み解くことが大事だと感じた。

「あたりまえ」を疑う社会学 第1章

要約 

 量的な調査の意義は十二分にあり、「使える」ものであることは間違いない。もし、量的な発想で調査するならば、調査企画から設計、分析作業などをきちんと考えたうえで分析できる調査となるよう努力する必要がある。しかし、私たちが普段生きている意味や価値、暮らしのなかで使用する現実の言葉やさまざまにわきおこる情緒など、いわゆる質的な部分を詳細に調査しようとするとき、アンケート調査や質問紙調査という方法では限界がある。人々の営みを何らかの形で数量化し、より一般的に現実を分析するだけでは、決して明らかにならない問題や、人々が生きている現実があるからだ。

 

感想

 5段階評価のアンケート等の数字で調査を行うものは、より深い調査はできない等の問題があるように感じてた。ただ、問題ばかりでなく使える部分もあるため、何が問題かを考え、より深く調査が行えるようにするにはどうすればいいかを考える必要があるように感じた。私がアンケート等で調査を行う際に注意しようと思う。