「あたりまえ」を疑う社会学 第3章

要約

 社会学には、研究者自身が、その現実のなかで「あるものになる」ことで得られる知や情報から、世界を、己自身を読み解こうとする人類学のフィールドワークと同様の営みがある。 鵜飼正樹氏の「大衆演劇への旅」には「何者かに『なりきる』ことなどできるのだろうか?」という問いがあるが、筆者はできないと考えている。「なりきった」実感をなんとか味わいたいと思うからこそ、私たちは、暮らしの中で大切だと感じ、考える場で、何者かに「なりきろうとし続ける」のではないか。私たちが普段当たり前のように暮らしている日常に満ちている「なりきろうとし続ける」営みこそ、そして役柄と自分の存在の間にある距離や隙間こそ、社会学が世の中を調べるうえで読み解くべき、基本的、かつ核心的な対象なのである。

 

感想

 社会学者がフィールドワーク等で、何かに「なりる」ことは大切だと感じた。集団の一員に「なりきる」ことで、より多くの情報を手に入れるだけでなく、周りからの信頼を得ることもできるのではないだろうかと感じた。筆者の言うように、「なりきろうとし続ける」営みが、社会学においてかなり重要なものなのではないだろうかと考える。