「あたりまえ」を疑う社会学 第7章

要約

 世の中を質的に調べるセンスを考えるうえで、「普通であること」がいかに微細に、しかも執拗なかたちで日常を覆い、私たちをとらえているのかを読み解くこと、私たちが「普通であること」に居直らず、いかにその呪縛から自由になれるのかを考えることが重要である。そして、「普通であること」は、私たちに対して微細だがはっきりとした権力を行使していくのである。また、世の中を質的に調べようとする社会学者もまた、世の中で生きている人間の一人だということだ。いくら社会調査の技法や現実を説明する精緻な理論を持ち合わせていても、調べる現実や営みから完璧に超越することができない。

 

感想

 差別を行う、受ける人は普通ではなく、それに干渉しないものこそ普通であることに対し、筆者は「普通」という言葉を使って差別から自分を遠ざけているだけだと述べている。私も同感である。「普通」といっても様々な捉え方があり、厳しい意見にも左右されない「普通」と、軽い指摘で変わる「普通」がある。なぜ左右されないのか、なぜ変わるのかを考えることで生活の質の向上につながるのではないだろうか。