経営戦略原論 第5章
要約
資源ベース理論は、産業構造と技術の変化が加速した時代に登場した。資源ベース理論の探求は、1980年代前半にはすでに始まっており、一人の天才ではなく、無数の研究者の協業が生み出した。プラハラードとハメルが実務に、そしてバーニーが研究に資源ベース理論を伝播させた。その後、資源ベース理論は1990年代から2000年代にかけて着実に進化し、資源ベース理論の捉える「資源」は、次第に知識や能力へと拡張された。また、競争優位を生む資源はどうすれば手に入れられるのかについて、いまだ答えは出ていない。しかし、この知見を現代に活かすためには、より広い定義で「資源」を捉える必要がある。
経営戦略原論 第4章
要約
産業構造から外部環境を分析する手法の源流は、不完全競争の議論にある。この議論の発展を受けて、それを企業行動とその収益に直接的に結びつけて議論する潮流から生まれたものが、SCPモデルであり、経営戦略に応用されるようになった。。これは、1970年代の経営戦略論の停滞により登場したマイケル・ポーターが演出した新たな潮流である。また、それぞれの産業や、その中に存在する戦略グループの収益性をどう分析するかを実務家に向けて提示されたものを、ファイブ・フォース理論という。これを活用するとき、産業を取り巻くマクロ要因、非市場要因、メガトレンドの理解は必須である。
経営戦略原論 第2章
要約
戦略の語源は、何をもって語源とするかで複数存在し、戦略の起源をさかのぼるのであれば、それは先史時代に至る。もちろん、我々がいま想像するような戦略ではないだろうが、最も広く戦略を考えるのであれば、それもいわば戦略といえる。また、人間活動の組織化の手法は、国家権力と戦争により磨き込まれ、軍事戦略は経営戦略にも幅広く応用されている。そして、管理監督による生産性追求の行き過ぎは、逆に人間性の発見につながり、単なる監督者ではなく、高い規範の実践者としての経営者が理想となった。
「あたりまえ」を疑う社会学 第7章
要約
世の中を質的に調べるセンスを考えるうえで、「普通であること」がいかに微細に、しかも執拗なかたちで日常を覆い、私たちをとらえているのかを読み解くこと、私たちが「普通であること」に居直らず、いかにその呪縛から自由になれるのかを考えることが重要である。そして、「普通であること」は、私たちに対して微細だがはっきりとした権力を行使していくのである。また、世の中を質的に調べようとする社会学者もまた、世の中で生きている人間の一人だということだ。いくら社会調査の技法や現実を説明する精緻な理論を持ち合わせていても、調べる現実や営みから完璧に超越することができない。
感想
差別を行う、受ける人は普通ではなく、それに干渉しないものこそ普通であることに対し、筆者は「普通」という言葉を使って差別から自分を遠ざけているだけだと述べている。私も同感である。「普通」といっても様々な捉え方があり、厳しい意見にも左右されない「普通」と、軽い指摘で変わる「普通」がある。なぜ左右されないのか、なぜ変わるのかを考えることで生活の質の向上につながるのではないだろうか。
「あたりまえ」を疑う社会学 第6章
要約
エスノメソトロジーとは「人々の社会学」であり、私たちの暮らしの大半をおおっている「あたりまえ」の世界を解きほぐして、そこにどのような問題があるかを明らかにしていこうとする営みである。また、「あたりまえ」を疑うことは、世の中を質的に調べるセンスであり、具体的な営みである。そして、疑うことだけで終わることはなく、疑いを覚えた瞬間、現実から離れずにその様相を詳細に見抜いていこうとする営みである。「人々の社会学」は、私たちが普段「あたりまえ」に使っているからこそ、「人々の社会学」に孕まれている問題を個別に読み解き、「あたりまえ」を変革し、新たな「人々の社会学」を想像しようとする営みにつながっていく。
感想
最近、スポーツ業界でパワハラ問題が次々に取り沙汰されている。これは、これまでの立場が上の人の意見は絶対といった間違った「あたりまえ」を変革している途中であると私は考える。こういった時代にそぐわない「あたりまえ」を疑い、その問題点を一つ一つ具体的に見抜くことが新たな「あたりまえ」を想像するうえで重要なことだと考える。